バグ / ウイルス / ハッカー
最初のバグは蛾ではなかった
1947年、計算機の中から見つかった一匹の蛾。「バグの語源」として繰り返し語られるこの話には、記録簿の文面そのものに反証が書かれている。
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プログラムの不具合を「バグ」と呼ぶ理由として、よく語られる話がある。1947年、ハーバード大学の計算機 Mark II のなかから一匹の蛾が見つかり、技術者たちはそれを記録簿に貼り付けた。そこから不具合を「虫(bug)」と呼ぶようになった――という筋書きだ。
蛾が見つかったこと自体は事実である。ただし、語源としては成り立たない。そのことは、記録簿の文面そのものが教えてくれる。
「本物の」バグ
JSTOR Daily の記事によれば、蛾の横に書き添えられた言葉は「first actual case of bug being found」だった。直訳すれば「本物のバグが見つかった最初の例」である[2]。
「本物の」とわざわざ書くのは、bug という言葉がすでに「不具合」の意味で使われていたからだ。比喩としての bug が先にあり、そこへ文字どおりの虫が現れた。技術者たちはそのおかしさを記録簿に残したのだろう。
同じ記事は、トーマス・エジソンが1878年の書簡で「小さな欠陥や困りごと」を「Bugs」と呼んでいることを紹介している。不具合の意味の bug は、少なくとも19世紀後半にはさかのぼる[2]。この点は、フレッド・R・シャピロの論文「Etymology of the Computer Bug: History and Folklore」が扱った主題として紹介されている[3]。
誰の記録簿か
この逸話は、計算機科学の先駆者グレース・ホッパーの名とともに語られることが多い。しかしJSTOR Dailyによれば、スミソニアンの解説はこの記録簿を「おそらくホッパーのものではない」としている。彼女は出来事を有名にした人物ではあっても、bug の名付け親ではない[2]。
記録簿は今も国立アメリカ歴史博物館に収められている。語源の「証拠」としてではなく、すでにあった言葉が現実と出会った瞬間の記録として見ると、この一枚はいっそう面白い。
虫の次に来たもの
コンピューターの世界は、その後も生き物の名前を借り続けた。辞典によれば、日本語の「バグ」は英語 bug の「虫」の意に由来し、プログラム上の不具合や誤りを指す[1]。
1984年には、フレッド・コーエンの論文が、他のプログラムに自身を付着させ、そのプログラムをもウイルスにしてしまうものを「virus」として定義し、主要なセキュリティ問題として論じた[4]。虫が不具合を表したように、病原体の名前が自己複製するプログラムを表すようになる。生物の比喩は、機械の困りごとを語る便利な道具だった。
意味が反転した言葉
最後に、もうひとつ。ハッカー文化の用語集「Jargon File」は、hacker を「特定のプログラムの熟達者」や「制約を創造的に乗り越える知的挑戦を楽しむ人」と定義し、「悪意ある詮索者」という語義には「deprecated(非推奨)」の印を付けている[5]。
バグの語源が俗説に覆われたように、言葉は当事者の意図とは別の方向へ流れていくことがある。記録をたどることは、その流れを逆向きにさかのぼる作業でもある。
出典
辞書バグ(コトバンク:デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典ほか)
小学館・平凡社ほか コトバンク 2026-10-17参照
裏付け:バグが英語 bug(虫の意)に由来し、プログラム上の不具合や誤りを指すこと(該当箇所:デジタル大辞泉「バグ(bug)」)
記事The Bug in the Computer Bug Story
Matthew Wills JSTOR Daily 2022-05-03公開 2026-10-17参照
裏付け:1947年の蛾の逸話が語源としては正確でないこと、エジソンが1878年の書簡で不具合を「Bugs」と呼んでいること、スミソニアンの解説が記録簿は「おそらくホッパーのものではない」としていること(該当箇所:本文)
注記:Shapiro (shapiro-bug) の論文を紹介する二次資料。
論文Etymology of the Computer Bug: History and Folklore
Fred R. Shapiro JSTOR 2026-10-17参照
裏付け:コンピューターの bug の語源と俗説を扱った論文の存在
注記:JSTOR Daily の記事からの参照で確認。本文は未参照のため、論文固有の主張は掲載していない。
論文Computer Viruses - Theory and Experiments
Fred Cohen all.net(著者サイトに掲載) 1984公開 2026-10-17参照
裏付け:自身を他のプログラムに付着させて複製する「virus」という計算機セキュリティ上の問題を定義した論文であること(該当箇所:Introduction and Abstract)
注記:命名の経緯(誰が名付けたか)はこの節では確認していない。
Eric S. Raymond(編) catb.org 2026-10-17参照
裏付け:ハッカー文化内部での語義(特定のプログラムの熟達者、制約を創造的に乗り越える知的挑戦を楽しむ人)と、「悪意ある詮索者」の語義を[deprecated]としていること(該当箇所:hacker: n. の各語義)
注記:ハッカー文化の当事者による用語集。